名グローブ!!

いいよ!こいよ!鼻にかけて鼻に!(天狗)

スプラ思考の吐露

漫画読み続けるだけでお金が入ってくる生活したい。どこかにそういう仕事が落ちていないか。なければ作るしかない。

行動半径内にあるおいしげな食事処でおいしいものを開拓していきたみがある。

スプラ2が出るまでにS+カンストを一度くらいしてみたかったけど、S+底辺で終わりそうだ。結局運良く上がり続けて得られたS+70あたりが限界だったなあ。ブキルールステージを限定してもいけるか分からない境地だろう。一応選り好みせずプレイして、ルールステージ選んでウデマエ上げしようとはしなかったけど、決めうちでもなれるか怪しいな。いろいろ戦術やらギアやらルールステージに合わせた構成考えたり、自分史上これ以上ないくらいゲームに対して試行錯誤したけど、カンストには至れんな。ツーマンセルを意識するだの、できるだけヒト状態にはならないようにして無駄に姿をさらさないとか、スペシャルは味方と合わせるとか、試合で勝っても負けても反省を積み重ねて常勝(とは言わないが勝率7割とかを維持)できるような勝ち筋につながりそうなやり口を考え続けてはいたんだけど、いかんせんダメなときはダメだし、異様にすんなり勝てる時もあるしで、なんともしがたい。面白いんだけど、負けると異様に腹立つんだよなこのゲーム。負け時(以外にもいろいろあるけど)演出のくどさが神経をやたらと逆撫でしてくる気がする。スプラ2は、初代で集まったであろう膨大なデータを用いて、より楽しく納得感のあるゲームになってることを祈るばかりである。無敵ステジャンゲームは初代でお腹一杯だからな!

脈絡のない日記

積み本が結構あるんだけどそこそこ読んで止まっちゃってるやつから着手していきたい。

あと諸々やらんといかんことをやっていきたい。

時間を持て余すと無為に遊んでしまうからよろしくない。

ねむい。最近眠りが浅くなっているのはあれかな、気温が上がってきてて寝苦しさが増してるからかな。主観的には寝苦しいとはあまり感じちゃいないけど無意識ではつらさを覚えているのかもしれない。

ニンテンドースイッチ買ってゼルダとARMSやりつつスプラ2待ちてえ。まだ買わんけど。

いろんなことを積極的に言語化していきたい所存。

案外、少し前の思考内容ですら忘れていく生き物ですからね人間は。

その時々では脳にこびりついていて別に書くほどの事でもないだろ、自明の理やろ、と思うようなことでも、一週間もするときれいさっぱり忘れていたりするからなあ。

書き残していくことで自分を再発見していくんだ、俺は。

改めてゴールデンカムイ読み返してるんですが、やっぱり面白いですなあ。

リハビリ的に文章を書く

エロマンガ先生、アニメで見て紗霧ちゃんのかわいさにやられたので原作の1巻を読んでる。そういえば俺妹の原作がどういうラストだったかちゃんと見届けた覚えがない。うっすら結末は伝え聞いているんだけど。俺妹はアニメしか見てなかったからなあ。

ポプテピピック。よくよく考えてみるとぶくぶ先生がこれだけメインストリームに躍り出ていると不思議な気分になる。pixivで東方のシュールかわいい漫画描いてたころからすると、あの絵柄がクソの代名詞みたいになってるのはなんともすごい流れだと思った。ポプ子ちゃんがかわいい担当でピピ美ちゃんが男らしさ担当みたいになってていいですよね。

ねこ飼いたいですね。

君の名は。の毒は翌日巡る。

なんだか今日になって郷愁と切なさが巡りだした。この映画に恋をするとかなんとかいかにもこっち向けじゃないような煽り文句だなと思っていたけどこの感覚はまさに恋に近い。もっかい、今度は極上音響で見に行きたい気分だ。

と思って立川の予約状況を見たら二人並びの予約がぽこぽこと散らばっていて、ああ、そこの二人並びのさらに横に俺が予約したら居た堪れないんだろうな、主に俺が。と思わざるを得ない感じだった。

そういや三葉と瀧はお互いの電話番号をそれぞれ携帯に残しておいたようだけど、かけようとしたのはあの一回だけだったんだろうか。というか年度の違いには気付かないものなのか。気付いたけど記憶が消えてただけなのか。どっかのレビューのように、確かに気にしだすといろいろ整合取れてないとこが見え出すので、とにかく画面の綺麗さと初見では頭で追い切れない怒涛の気付き&試行錯誤パートと三葉のかわいさと神木きゅんのかわいさで押し流してしまえという意図を感じなくもない。

そういや僕自身は後半の方でちょっと涙腺に来たけどややとどまって引っ込んでしまった。シンゴジラでは総辞職のとこで恐怖でやや泣いたけどそっちの方が目は潤んでたかもしれない。三葉かわええ・・・という思いの方が強かったからかもしれない。

「君の名は。」思うまま感想(ネタバレあり)

君の名は。」を見てきた。ネタはバレます。

思いのほか人が多くてちょっと不安だったがおおむね大丈夫だった。ネット予約時は席ガラガラだったのに行ったらほぼいっぱいいっぱいだったから、みんなそんなに予約していかないんだなと思った。ポスターとか上映中の内容一覧を見た上でその場の「観たさ」で決めるのだろうか。子供連れの人々はそういう決め方してそうだな。

観た感想を。三葉の髪型がかわいかった。なんやねんあのややこしさは・・・と思いつつも女の子らしさが秘められたあの髪型よ。編み編みポニテとでも呼べばよいのだろうか。かわいいよ。

あと新海的「失恋に浸る俺さびしいむなしい空虚だよぉ・・・」オチにならなくてよかった。だってそんなんだったら一生秒速見てればいいじゃん。もういらねーんだよそんな悲観的かさぶたエンドはよぉ!と思っていたらちゃんとハッピーなエンドに落ち着いたのでよかったです。後日談を妄想して楽しめるのでいいですね。

瀧君とは3歳差で三葉ちゃんがお姉さんということのようなので是非お姉さんぶってもらいたいし、引っ張っていこうとするもしどろもどろになり見かねた瀧君がフォローを入れる図というのも素敵だと思います。こういう妄想のはかどる作品を見た後はいつも、なぜおれは絵を描けないのだろう、漫画を描けないのだろう、なぜそういうものの練習をしてこなかったのだろうと後悔しきりなのですが、いかんせんこの手の情熱は熱しやすく冷めやすいもので絵の練習のような超地道さの必要な行為を継続させるエネルギーとしては燃費がよろしくないようなのです、俺としては。

そんなことより、赤面してた三葉のかわいさ半端じゃなかったよ?あれは恋する女の子特有ですね。俺には分かります。というかそういうものとして描かれているわけだからあの表情を具現化したスタッフの皆様はああいう表情を見たことがあるということですよ。あの恋する女の子特有の「ドキドキが高まりすぎてどうしようもない紅潮」よ。ああいう顔を死ぬまでにいや隕石が落ちてくるまでに一度くらいは向けられたい、と男なら毎日寝る前に思うはずです。僕も毎日願ってるんですがどうも叶いません。

口噛み酒もいいですよね。性癖をくすぐられます。親子連れが結構いましたが、あれ見たお子さんは結構いい感じの性癖に醸成されていくと思いますよ。フェティッシュ!そりゃあ三葉ちゃんも困っちゃいますよ。自分の唾液で作ったお酒を好きな男の子に飲まれてるわけですから。瀧君だって三つ葉ちゃんの唾液とかいう甘美な液体飲みたいに決まってるし。ていうかあれに己の半分を入れさせる儀式って重すぎやしませんかね。そもそも口噛み酒って大体どれくらい放っとくとお酒になるんだろう。ちょうど瀧君が飲んだくらいのタイミングが飲みごろだったのかな。お酒になってたんだろうか。なってたら未成年飲酒になっちゃうな。

背景はやっぱりきれいでしたね。ご神体クレーターのきれいさはすごかった。東京のビル群もよかったです。

入れ替わり時の日常描写が結構すっ飛ばし気味だったのは意外でした。もっと描写されると思ってたらポポポンとかっ飛ばされてしまって。あのイヤミ3人組もそれほど掘り下げなかったし。てっしーは無線とか発破とかハイスペック人間ということでいいのかな?てっしーは三葉の事が好きで、さやちんはてっしーが好き、というありがち構造かと思ってたけどエピローグ見た感じ「てしさや」で落ち着いてるわけで、よろしくない言い方だと余りものつながりかとも思ってしまうけど、そこらへんの心理は測りきれなかったなあ。

今書ける感想はこれくらいですが、またふつふつと湧いてきたら書こうと思います。小説版とアナザーストーリーとパンフレットも読みたいなあ。あ、そういえば三葉ちゃんは瀧君のおにんにんをどれくらい見たんだろう。思春期の男女なんやから禁止してもいろいろと無理やよ!(蛇足感想)

今しか書けない夏がある(それっぽいだけのタイトル)

今書けることとはなんだろうか。今だからって何か俺自身が変化したかといえば、割と変化したのかもしれない。いや分からんけど。やりたいことはたくさんあるんだ。愛したいものだってたくさんあるんだ。ほらここ、今までならこんなくっさいことド直球で書き連ねるようなことしませんでしたよ?そもそも最近日記なんか書いてない。自分の心情を言語化することもあんまりなくなった。それが良いとか悪いとか言うよりは、単純に内省なんてものは時間があるからこそしてしまうものだってことだろう。時間が無けりゃそうそうしないもんなんだろう。別に暇なしアッピルをしたいわけじゃない。ひたすらに自分の心を見つめてそれをねっとりきっちり言語化するってのは相当に贅沢な行為だったのかもしれない。そういうことだ。ただただ心の雲行きを子細に描写していくというのはなかなかに楽しかったのかもしれない。それをしている最中は己の頭に巣食ってるどうにもこうにも振り払えない暗く重い不安の権化を消し去りたくてあがきまくっていただけなんだけど、今の俺にはそんな焦燥感もないしな。

昔作った別ブログを読み返してみる。これはもう俺には書けないな。やはりその時の文章とはその時の俺にしか書けなかったものなのだ。ただまあ書き残しておけば追体験はそこそこできるのだろう。

つーかあれだな。その書き手に結構な興味を抱いてなきゃその書き手の昔の日記なんざわざわざ読まないだろうなぁ。いや日記という物自体そいつに興味がなきゃ絶対読む気しないな、きっと。当たり前か。

俺は自意識の檻から出られているのだろうか。まだまだ囚われている気もするし、割と砕けてきている感じでもある。明日はどっちだ(適当な締め)