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『天気の子』を観て引っかかったポイント10個(ネタバレあり)

はじめに

まず最初に、自分は天気の子大好きおじさんです。大好きなので考察や感想をたくさん書いてしまいます。ゆえに延々書いてしまい終わりが見えません。どんな考えもとりあえず表に出さなければ始まりません。

今回はその一環で「ここ気になるな」と引っかかったポイントを述べます。

ほんとは10個以上ありますが、区切りがいい10個で止めます。

以下ネタバレしかないのでご注意ください。

①:陽菜さんの母親はなぜ亡くなった?

陽菜さんの母親が登場しているのは病室で眠っているシーンだけで、回想もない。

陽菜さんや凪先輩は詳細について全く語らない。

「実は母親も天気の巫女で、その影響で亡くなった説」も見かけたが、それは無いだろうと思っている。

「天気の巫女」の最後はおそらく今作で陽菜さんが辿ったのと同じように「天界に連れてかれて一人ぼっち(本人の生死がどうなるかは不明、周りの人からすると行方不明)」であって、「病気になる(結果的に死んでしまう)」ではないだろう。

なので「天気の巫女という設定とは無関係に、何かしらの病気で亡くなった」のだろう。映画のテーマ的に「どうして亡くなったか」は重要ではないので省いてあるのだと思う。

ただ徹底して語られないので気にはなる。

※以下やや話題ずれ。

「陽菜さんの母親は天気の巫女だった説」自体は否定しきれない。
天気の巫女だったが人柱としての役目を果たさずに病気で亡くなった、という可能性がある。
こうすると娘である陽菜さんが母親に代わって天気の巫女の力を受け継ぐという流れができ、それっぽくなる。
ただ妄想の域は出ない。

 ②天気の巫女ってなんなの?

そもそも一子相伝だったりする?天気の巫女としての力を持ちうる一族がある?

一族とか関係なしに、突発的にそういう力を持った人間が生まれる?

占いばあさんの「ガイアのホメオスタシスが~」という話が『天気の子』世界においては与太話ではなく事実だったとすると、いわゆる異常気象が起き始めると巫女が生まれるようになっている?

お寺の神主じいさんが天気の巫女についていろいろ話していたが、細かい設定は述べられなかったので気になる。

 ③陽菜さんの父親は?

本編内では特に語られていない。

離婚なのか、母親より先に亡くなっているのか、それともさらに複雑な家庭環境だったのか。(陽菜さんも凪先輩も養子だった、とか)

そのへんは特に語られていないし、ヒントもほとんどないので、インタビューとか設定資料とかで補完するしかない?そういう情報を出してくれるかは分からないが・・・。

たぶん映画本編のみでは何も分からない。

④陽菜さんと凪先輩が子供だけで生活しているのはなぜ?親戚はいない?

バラバラにされちゃう!という陽菜さんのセリフから「保護されると凪と引き離されてしまう、と陽菜さんが思い込んでいるため」説が強いとは思っている。

陽菜さんはまだ義務教育を終えていないような年齢なので、思い込みにより拒絶している可能性は高い。

実際に子供だけで生活していて行政が介入した場合どのような措置が取られ、姉弟の場合どういう生活形式にされるのかは知らないが、どうなのだろう。それぞれ別々に生活、とはならない気はする。もしくはバラバラにされてしまうような事情(実は陽菜と凪には血のつながりが無い、とか)があるとしたら、陽菜さんの懸念も分かる。

「それまで生活していた家を離れたくないから」という説も見かけ、これはあるかもなーと思った。

 

また親戚の有無については本編では触れられていない。
親戚がいればそちらに引き取られるだろうし、そもそも母子家庭になった時点や陽菜ママが入院になった時点で誰かしらの根回しがある気はする。

親戚もタッチしたくない厄介な事情があったとか?

しかし、本編だけではやはり分からない。

⑤落雷トラック大爆発で被害とか出てないの?

警察の人が「こりゃ大変だ」的な事を言ってはいたけど、被害規模は不明。

描写されてる範囲だとトラックの付近に人はいなかったけど、かなりの爆炎が上がっていた。

トラックの位置はコンクリ系のビルの近く?だったし、天候的にも延焼はない・・・はずだけど、爆発による窓ガラス・建物等の破片の飛散がありそうなので、被害ゼロとは言い切れない。

そもそも突き詰めると、トラックの持ち主が被害を被っている。まぁ乗ってはいなかっただろう、多分。

 

※やや話題ずれ。

トラック爆発後、帆高も陽菜さんも爆発について触れてないのが少し引っかかった。

特に陽菜さんはあれによって「自分の力の恐ろしさ」を強く意識しそうな所だが、ラブホでは全く話題に上がらなかったので気になった。

言葉にはしていなかったが内心思うところがあり、それが後の帆高への「晴れてほしい?」という問いかけにつながった可能性はある。

帆高が晴れてほしくて、晴れさせることでみんなも救えて、この恐ろしい力も無くすことができるならちょうどいいんじゃないか、くらいのことを陽菜さんが考えてもおかしくはない。

⑥空から落ちてくる水の塊は一体何?

この作品にいくつかある「ほとんど説明のない描写」の一つ。

最初のフェリーで帆高が甲板に出た時と、中学生2人組のとこで発生していた。

水の塊が落ちる時には魚の声らしきものが聞こえていた。

水の魚?が破裂していたようにも見えた。

水の魚が引き起こしている現象?「天の気の淀み」的なもの?

陽菜が能力を使うとその代償でどこかに水の塊が発生する?

(祈りによって晴れさせた分の雨がどこかにしわ寄せされて塊になる?)

いろいろ想像はできるけど、根拠らしいものはないし、よく分からない。

意味深な描写だったわりにスルーされてるので、気にはなる。

ここが引っかかってる人は他にも結構いるようだ。

⑦廃ビルの神社は何?

これも「ほとんど説明のない描写」の一つ。

私的結論から言うと、現実に即して各種設定を仕込んでそうですが、作中でつじつまを合わせるためのファンタジー的説明についてはかなり端折っている感じ。

 

説明はないですが、神社がビルの屋上にある事自体は現実に即していそう。

商売繁盛の神としての稲荷を奉じるために、会社の屋上に神社が置かれることは実際に多々あるらしい。

なので、あの廃ビルがまだ機能していた頃に神社が設置され、廃ビルとなってからもそのまま残ったと考えてよさそう。

稲荷は元々農業神らしいので、農業を行う上で重要な「天候」、もとい「晴れ」を司っているという設定は自然に思える。

序盤の占いばあさんの話にあった稲荷系の自然霊がどうのという話も、現実でのスピリチュアル系の分野では常識というか「そういうもの」のようだ。

この辺は掘り下げると横道に逸れそう(調べ物が追い付かなさそう)なので、この程度にしておきます。

 

作中での設定というか、ファンタジー的説明はあまり無い。

天気関係の願いを持った人が来ると天気の巫女としての力を与える?

あの神社だけが特別なのか?あそこにだけ日が差していたのは?陽菜だから力を与えたのか?

帆高が、陽菜さんがやったのと同じように、陽菜のことを願いながら鳥居をくぐることでいわゆる「彼岸」に行けていたので、割と誰でも能力がもらえたり彼岸に行ける?

鳥居をくぐった時点で力が与えられるのか?他の行為でも与えられるのか?

もうすこし万能で、天気関係じゃなくても何かしらを願いながら鳥居をくぐるとその願いを叶える?さすがにそこまで万能ではなさそう。

・・・などなど、どういう理屈・システムになっているかは作中でほとんど触れられておらず、想像で補うしかなさそう。

 ⑧あの廃ビルに普通に入れてるのはなぜ?

閉鎖されてそうな気もするけど、みんな普通に入ってる。

非常階段の底が抜けたりしてて老朽化進んでそうだし、立ち入り禁止になってないとおかしいのでは?

むしろ立ち入り禁止にしてるのにみんなが勝手に入ってる?

神社にナスとかキュウリがお供えしてあったので陽菜のほかにも誰かが訪れている?

謎やん!

⑨ナスとかキュウリをお供えしたのは誰?

お盆の飾りである、いわゆる精霊馬のお供えがされていた。

作中では「誰なのか」についてのヒントはなし。

登場人物の誰かなのか、全く関係ない誰かなのか。

「誰かしらはあの神社のことを知っていて、お参りしたりしている」としか言えなさそう。

⑩帆高はなぜ家出した?

「あの光の中に入りたかった」とは言っていたけど、それだけのために果たして家出までするのだろうか。

それだけのために行動を起こしてしまうぐらい行動力ある少年、というキャラクター性の補強にはなっているが、なぜ?への答えにはなっていない。

パンフでの監督のインタビューに「トラウマに駆動される話にはしたくなかった」という記述があったので、意図的にそのへんの理由の描写とかを削っているのだろう。

私的にはそのくらいバッサリ切るのもアリと感じるが、ここが引っかかった人は多数いるというのは、いろいろ感想を見ていると分かる。

まとめ

気にしだすとドンドン疑問が湧き出てくる「天気の子」。

『少年と少女が今を生きるために選択し続けることで「行きつく先」と「そこからの始まり」を描く物語』だと思っていて、それを描くのに必要なところだけ残していったらこうなったのだと考えている。

天気の子大好きおじさんである俺はたぶん、「あばたもえくぼ」理論に至ってしまっていて、こういう語られなかった部分すら楽しくなっている。

ただ、伏線とか設定があいまいだからイヤ!という人がたくさん出ているわけではない気がしている。

「天気の子」は観る側の肌感覚に全てを委ねてる作品だと思っていて、その感覚を持っているかどうかで合う・合わないが決まってるんじゃないか。(持ってる方が優れてるとかそう言う話ではない)

その合う・合わないの境目に興味があるので、もっといろんな人が観ていろんな感想や考察が出てくるといいなと思う。